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ヒカルの碁について真面目に語りたい

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こんにちは、テキーラおいしいbotです。

皆さんはヒカルの碁という歴史的名作漫画をご存知だろうか。週刊少年ジャンプにて98~03に連載されていた囲碁を題材とした漫画である。当時は囲碁ブームが巻き起こり、小中学生で囲碁を打てる人が急増した。監修を務めていた日本棋院ヒカルの碁に乗っかって、全国でヒカルの碁囲碁教室などを開催し、大いに盛り上がった。私もその例にもれずヒカルの碁を読み、バイブルとして崇めている。2019年、小畑健展が開催され今もなお愛されているこの作品の魅力を伝えたいので、漫画とは一切関係ないこのブログに書き殴ってやろうと思い、筆をとった。お酒の話じゃない。ごめんな。

 

ヒカルの碁の時代性

ヒカルの碁の魅力を一言で語るのは無理があるのだが、あえて一言でいうなら、優れた芸術性である。総合芸術としての完成度が非常に高い。芸術とは、表現活動によって鑑賞者の心を揺さぶるものであるが、私は、その時代ならではの問題の提起や、社会的な背景を描くということが芸術作品の最大の価値であると思う。

 

もちろん普遍的な美を表現することにも価値はあるのだが、その普遍を「今」で描くことでその時代の芸術作品として評価されると思っている。例えば、明治時代の文学作品は「明治」という「今」を描いているからこそ存在意義があるし、その作品の中で揺れ動く人々の葛藤が当時の人々とリンクするから心が揺さぶられる。そして、令和の人が読めば、ある種古典としての意義も持つのである。

 

では、ヒカルの碁当時の「今」とは何か。それは「インターネットの普及」と「未熟なプログラムの囲碁ソフトウェア」である。ヒカルの碁に欠かせないアイテムとして「ネット碁」つまりインターネットがある。インターネットの匿名性の中で最強棋士の藤原佐為がプロの棋士を倒すというストーリーは、ネット対戦を可能にした時代以降でなければ描けない。そして最も言及しなければならないのが、この時代はまだ「AIが人間に勝利する兆しが全く見えていなかった」ということである。

チェスでは90年代後半にはコンピュータが人間に勝利するまで強くなっていたが、囲碁はその手数の多さから当時の最新ソフトでも、アマチュアの低段者レベル。作中でもプログラムが人間に勝つのはあと100年かかると言われているし、2013年でも「コンピュータが人間に勝つにはあと10年以上かかる」などと言われていた。しかし、実際は2016年にはプロを破ったのである。

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ヒカルの碁の時代にコンピュータが人間に勝てるまで進化していたら、佐為がネットで猛威を振るっていても「これはAIだろう」と言われストーリーが進行しなかったであろう。つまり、ヒカルの碁という作品は、インターネットが普及した90年代後半から10年代前半まででしか成立しない話なのである。そして、本作のテーマである「神の一手を極める」ことについて、ヤンハイというキャラクターが「神の一手はこの中(コンピュータ)から生まれる」と言及していたりするのが作者の先見の明を感じさせてくれる。

このように平成10年代でしか描けない題材で物語を展開し、読者に感動を与えるという点だけでも、相当完成度の高い作品といえるのではないだろうか。ただ、まだまだ魅力はある。

 

アイドル映画性

 アイドル映画というジャンルがある。それは主演を演技初心者のアイドルにし、さらに順撮りすることによって、主演の演技の成長と物語主人公の成長を重ね合わせるという刹那的な手法を用いるジャンルである(勿論そんな手法を使わずともアイドル主演であればアイドル映画だが)。ヒカルの碁では意図的ではないにせよ、作画が連載当初と後期ではレベルが段違いであり、その作画の成長とヒカルやその他のキャラの成長とが重ね合わされている。 

アイドル映画30年史 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)

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派手なバトルがなく、心理面やミステリー性が強い作品だからこそどんどんリアルなタッチになっていく作画がバシバシに映えるのである。初期のファンタジー性の強い時期は可愛らしい作画が、佐為が消えてからのファンタジー性が排された時期にはリアルな作画が映える。心理的成長、ストーリー的親和性と作画が見事にリンクしてるのは小畑先生の力があってこそである。

   

テーマの普遍性

最初に時代を反映した作品が芸術だと格好をつけて書いたのだが、忘れてはならないのが普遍性である。ヒカルの碁ではその時代設定でしか描けないストーリーでありながら、そのテーマについては普遍的なものとなっている。

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ヒカルの碁の最終巻では「自分は遠い過去と遠い未来を繋げるために碁を打っている」と話すヒカルに対し、対局相手の高永夏は「そんなのオレ達(棋士達)はみんなそうだろう」とヒカルより一つ大人の目線で語る。さらに上位の棋士は「そんなの人類みんなそうだろ」とより大人の一言。

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この最終巻がヒカルの碁の「神の一手」への完璧なアンサーとなっているし、人類が求める「幸せ」や「平和」はとは何か、ということへのアンサーにもなる。人類は今すぐに平和を得ることはできないかもしれないけれど、それを求め続けた事実を未来に繋げるために、今の自分たちも平和を求め続けることが大切であるというメタファーにもなっているのだ。

 

そして過去と未来を繋げるためには、決して一人では到達しえないということもヒカルの碁では説いている。「碁は二人で打つものなんじゃよ」というのは桑原本因坊である。またアキラが通う碁会所では「碁の神様は対等に渡り合える相手がいなくて孤独だ」「自分と渡り合う相手を育てるために切磋琢磨させている」「その壮大な計画の中に自分たちはいる」と話すシーンがある。

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言い換えれば、人類は協力なしに生きていけないし、互いが平和を求めて行動しなければ未来へ繋がらない。未来にあるはずの平和に向かってコツコツと切磋琢磨する神様の壮大な計画に中に人類はいるということである。

ここで面白いのがヒカルの碁の中で語られる「神の一手はこの中(コンピュータ)から生まれる」という発言。ヒカルの碁は世界平和への道筋はAIによって導き出されるということを暗示しているのかもしれない。この意味でこの作品はバイブルといっても過言ではない気がする。

 

キャラクターの巧みさ

ヒカルの碁のキャラクターについても語りたい。

まずは佐為の存在である。佐為はフィクションの存在だが、実在した本因坊秀策に憑依して無敵の強さを誇ったという設定なのが素晴らしい。別に秀策が幽霊となってヒカルと共闘する漫画でも成立するのだが、「秀策(実在)が幽霊(虚構)になってヒカル(虚構)と出会う」というと突拍子もなく感じてしまう。

しかし、「秀策(実在)は実は幽霊(虚構)憑りつかれていた」と一つクッションを挟むことで、佐為(虚構)がヒカル(虚構)に憑りつくという非現実性をうまく隠している。しかも秀策が「わーいわーい」とか言っていたら興ざめだが、佐為なら可愛い。

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次に登場人物の扱いである。ヒカルの碁ではそれまでどれだけ深く関わったキャラクターであっても、ヒカルの環境が変われば全くと言っていいほど登場しなくなる。ヒロインすら登場回数が少ない。あれだけ熱くなった三谷もたまにしか出ないし、フクや奈瀬もちょい役である。海王中の大将なんて馬鹿にされて終了。f:id:tequila_umai:20191026222917j:plain

 

人間、環境が変われば人間関係も変わる。かつての仲間も会う回数は確実に減る。院生編から一緒に戦った仲間である和谷も後半の登場回数が少なくなっていくのは残酷ささえ覚える。漫画ではどうしても仲間はずっと仲間ということを描きがちなので、ヒカルの碁のリアルさはこの点でも秀逸だ。

   

梅沢由香里先生の功績

最後になるが、監修の梅沢由香里(現在は吉原姓)と日本棋院の功績について話したい。

作中で登場する碁の盤面の作画は日本棋院に保管されている実際の棋譜を使っている。これはヒカルの碁のファンブック「碁ジャス」などで一部を見ることができる。作中で登場人物が「この一手は○○○な手だ!」などと驚いている盤面では実際にそのような手が打たれている。これは作中に合った棋譜を梅沢先生や日本棋院の職員たちがただひたすら頑張って探したという。部活時代の棋譜はアマチュアの試合から、佐為の対局は秀策からなどと、そのこだわりもハンパじゃない。 

ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド (ジャンプコミックス)

ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド (ジャンプコミックス)

 

 

「sai vs toya koyo」の元ネタとなった棋譜はとくに神がかっており、一手違えば逆転していたというストーリーにしっかり当てはまっている。そして、この回には面白いエピソードがある。元ネタとなった棋譜の対局者である依田紀元先生がこの回を読んだとき、自分の対局を元ネタにしていることに気付き、勝敗が分かってしまったというのだ。かつての自分にネタバレされてしまったは面白いし、作中最強の大局に選ばれ、しかも自分の対局だと気付くのは単純にすごい。

 

ニコニコ生放送でかつて「ヒカルの碁名局鑑賞会」という、アニメに登場した棋譜の解説を行うという番組があった。第一回放送の特番のアーカイブが上がっていたと思う。

レギュラー放送になってからは様々な棋士がゲストとして作中の対局を解説するのだが、棋士ヒカルの碁のファンが多いため、作中の状況などを踏まえて解説してくれるので面白い。ニコニコ生放送では人気が高く、ヒカルの碁の放送を3周も行うくらいだった。

live.nicovideo.jp

よく囲碁界はヒカルの碁に頼りすぎだ、と批判されることも多いが、それだけ名作だということである。

 

まとめ

ここまで見たようにヒカルの碁はその時代性、アイドル映画性、テーマの普遍性の3つがキャラクターやストーリーの中にキレイに組み込まれている。そして、細かな描写まで日本棋院がバックアップしている超大作だ。まだ読んでない人はぜひこの機会に買って読んでみてほしい。