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The Last of Us partⅡの炎上レビューに納得いかなかったので反論します

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ラストオブアス2が炎上しているということで、様々なレビューを見ると批判の名を借りた誹謗中傷が目立ったので、反論したくなっちゃいました。

ということで、炎上している要素一つ一つについてみていきたいと思います。

 

※ネタバレ注意です

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

ジョエルの死

これについては前作のラストを全肯定してとらえたか、モヤっとした終わりだと捉えたかで賛否が分かれると思う。

 

私は確かに「愛する娘を世界を投げうって助ける感動」は味わったけど、「世界を救うために動いているファイアフライを皆殺しにして、ワクチンの可能性を0にしてまで娘を救うというのはエゴだな」とも感じていた。

 

このように考えるとジョエルが復讐されることは必然だし、衝撃はあったが、それだけで糞ゲーという評価を下す要素ではなかった。

 

低評価レビューを見ると「前作であんだけ強かったジョエルがあんなに簡単に死ぬはずがない。前作と矛盾している」という頭の悪いレビューがかなり多いが、「ゾンビにかまれたら一発アウトの荒廃した世界だから簡単に死ぬのは当たり前だろ」と思う。前作をプレイした人なら当然わかると思うが、何回も死んでやり直さないとラストまでたどり着けないほど、死と隣り合わせの世界なんだから。

 

ジョエルの死について私が唯一言える文句は「テスのようにかっこよく死んでほしかった」ということくらいだが、そうするとアビーに対する憎悪とかが薄くなると思うので、やはり今回の死に方がこの作品で伝えたいことを表現する方法としては最高だと思う。

 

アビー編について

おそらく一番炎上しているのがここ。確かにアビー編は賛否がかなり分かれるところ。一番多い批判が「アビーに感情移入できないまま操作させられる」というもの。「先にアビー編をやってからジョエル殺害シーンがあれば納得できる作りになっていたのに、もったいない」という声もあるが、それでは、ゲーム制作者の意図が全く通じないだろう。おそらくノーティドッグは「プレイヤーを嫌な気分にさせたい」からだ。

 

今回のpart2はプレイヤーの心をかき乱すことに重きを置いている。復讐することで嫌な気分にさせようとしている。例えばノラの殺害シーンでは、「どうにか□を押さずに済まないか」と考えさせられるし、メル殺害でも後悔させる仕掛けを用意している。そんななかでアビー編に突入するので、嫌な気分を持続させる仕組みになっているのだ。

 

アビー編は嫌な気分のまま進行させるが、それは作者の狙いなので「アビー編の構成は失敗だ」とか「感情移入できない」という批判は、まんまと作者の狙い通りに心を動かされているということを告白してしまっているに過ぎない。彼らが批判できるとすれば「嫌な気分のままプレーするゲームは好きじゃない」という主観での感想のみで、論理的に構成を批判できる隙は用意されていないように思う。

 

復讐劇について

もう一つ多いレビューが「復讐劇が中途半端」「復讐が完遂しない」である。これに関してはレビュワーが馬鹿としか言いようがない。先ほども述べたが、復讐を後悔するシーンを入れたり、復讐を不快にさせる表現で見せたりして、復讐をしない方向へストーリーを誘導しているのだから、最後に完遂できないのは当然の流れである。

 

ここで「なんでアビーを殺さないんだ」とか言ってるやつはサイコパスである。完遂させるならもっとアビーを悪として描かないとおかしい。それをしていない時点で復讐劇というテーマではなく、「復讐は何も生まない」をテーマにしてると考えるのは当然である。

 

ポリコレについて

最近炎上しがちのポリコレ要素だが、私は別に気にならない。

看護婦が看護師になった時も、スチュワーデスがキャビンアテンダントになったときも、それなりに「言葉狩り」だとか、文句を言う人は一定数いただろうが、今そんなことをいう人はいない。黒人がドラマや映画に出ることに未だに文句を言う人は、今やただの差別主義者である。過渡期だから気になるだけじゃない?と思ってしまう。

 

前作ラストオブアスでも、ビルはゲイだったし、黒人のキャラだってたくさん出ている。それに文句言う人はいない。主人公が同性愛だったら批判が出て、脇役がゲイだったら文句が出ないというのはおかしくないか。ポリコレ要素が時代的に「黒人」から「LGBT」に移り変わっただけだ。

 

こういう意見もある。「同性愛などを入れてもいいけど、物語上の必然性がないとダメ」という意見だ。今回の物語は「視点を変えれば今まで正義だったものが悪になる。相手の立場に立って考えれば、許せないけど、許そうとは思える」ということを描いている。これはまさにポリコレ要素ではないのか。

 

しかも必然性について、個別的には少なくともこのようなことが考えられる。

・エリーが同性愛者なのは、ジョエルとの「親子愛」を強調するため

・ディーナがユダヤ教を信じているのは、セラファイト側への理解を促すため

 

「レズ同士のキスなんて見たくない」とか「人種や宗教に配慮しすぎ」だとかよく言えたなと。自分がそのような言葉を言われる立場だったら、ということを考えてみた方がいい。そういうことを考えずに、復讐を行い、悲劇を招いたのが今回の物語じゃないのか。このゲームを最後までプレイして、それを感じ取れないのであれば、なんか悲しい。

 

まとめ

ちゃんと考えずに感情で批判するのはやめた方がいい。嫌な気分になって文句を言いたいのであれば「嫌な気分になるゲームだから嫌い」という感情を伝えた方がいい。それを「感情で批判するのは幼稚だから」とその辺から取り繕った論理で批判する方が、批判として成立していないように思う。感情を理論的に伝えるのはやめよう。感情は感情だ。そこに論理はない。「私は鬱展開のゲームが嫌いなので、このゲームを評価しません」、それでいいじゃないか。

 

最後に私のラストオブアス2の感想を。

 

1の終わり方が感動的でありつつもモヤモヤする終わり方だっただけに、そこをしっかりと2で描いたのは嬉しかった。そして何より、これだけ心をかき乱すストーリーをゲームで行なったことはかなり挑戦的で素晴らしいと思う。ジョエルのエゴでぐちゃぐちゃになった関係を、今度はエリーのエゴでぐちゃぐちゃにする。でも、これまでの経験からそのぐちゃぐちゃに終止符を打てるエンド、最高だった。

 

でも、ジョエルとエリーが仲良く冒険するところがもっと見たかったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

終わり